コミュ障と自分で言う人の心理的特徴とは?

コミュ障と自分で言う人の心理的特徴について。最近よく耳にする「コミュ障」という言葉。なんだか誰もかれもが使いすぎて、本当にコミュ障なの?と疑いたくなることも増えました。実際に、あなたの周りでも全然コミュ障ではないのに自分ではそうだと主張している人はいませんか?

本当に人とのコミュニケーションができない人からすればあまり気分の良いことではないでしょうに、どうして自分をコミュ障だと言う人が増えてきたのでしょうか。そう言いたくなる心理をのぞいてみましょう。

 

コミュ障と自分で言う人の心理的特徴

人と関わることはできるが、その分エネルギー消費が激しい

コミュニケーション自体はできるものの、それが自分にとって疲れる作業であるとコミュ障だと言う人がいます。これも確かにその一種だと広い意味でとらえれば、間違いではないのかもしれません。

人には大きくわけて2種類あり、人との関わりによってエネルギーを得る人もいれば、逆にそれによってエネルギーを消費する人がいます。ここでは後者がコミュ障だと言っている人になりますね。

 

空気も読め、環境によって適切な対応を取ることができるものの、それは性格によってできるものではなく、常に意識して行われる周りに合わせる態度なのです。本当は一人でいる方が気楽なのに、それをすると周りから浮くことから実行には移せていないという状態の人ですね。

周りからしたら誰に対してもスムーズに会話ができ、世渡り上手に思われることもあります。だからこそ、そんな人とコミュ障は無縁だと感じてしまうのでしょう。

 

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このタイプの人は、休日にはインドア派が多いことが特徴です。休みなのに外に行って遊ぶということは、充電するどころかエネルギーを放電していることとイコールであり、結局遊びに行った日には全然休めなかったと、また疲れが残る結果に終わります。

そうなるとその人が望む休日がなくなってしまうため、友達からの誘いそのものは嬉しく感じても、実際に出かけるとなると気が重くなることもあります。

 

 

自分は他人を関わる時、人より気を使っていると思っている

友達が多い人、話しかけられることが多い人というのは、とてもコミュ障には見えないでしょう。ところが、それでもコミュ障だと言う人がいます。このタイプでは、実は気を使いすぎて相手にとって都合の良いことしか言えないという人がいます。

いかに相手の気に障らないことを言えるか、いかに相手から嫌われないかに意識が向き、自分の意見など、内側を見せることなくひたすら相手を褒める行為が目立ちます。褒められるというのは誰にとっても嬉しいことなので、人には好かれます。

 

相手から心を開いてくれるので友達も多くなりますが、本人はまだ気を使っているので本当に気が楽な友達というのは少ないことも。周りからは友達が多い人だと思われていても、自分は友達と言える人は人より少ないと思っていてここに差ができます。

ここがコミュ障と思えないと思われる原因に繋がるわけです。実のところ、人に一切気を使わずに生活をしている人なんて微々たるもので、そんな自己中心的な人は滅多にいません。

 

それにも関わらず自分は人に対して気を使いすぎるからコミュ障だと思うのは、どれくらい気を使っているかを他人と比べることができないからです。数値化できるものではありませんし、自分が一度そう思ってしまったらそれを覆すことも難しいです。

他人はもっとラフに、考えることなく他者と触れ合えると思っているので、多くの人が自分はコミュ障だと思っています。

 

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自分のコミュニケーション能力のハードルを下げておきたい

特にSNSで自分はコミュ障だと言う人が増えていますが、この言葉を使いたがるのは、「もしあなたのコメントに対して場違いなコメントを返したとしても怒らないでね、だってコミュ障だから」という自己防衛の一種です。

上手く人とコミュニケーションを取れない人間であることを先にアピールすることで、受け答えに多少の祖語が生じても許してもらえるようにしています。相手の自分に対する評価をあえて下げることで、その場を過ごしやすくしています。

 

後で言い訳を言うのは聞いてもらえませんが、先に言い訳となる布石を打っておくことは効果的に働きます。だれもが秀逸な回答をできるわけではありませんし、特にSNSの特徴である短文で、表情無しで感情を伝える場合では誤解は生まれやすくなります。

それによって炎上が起こったり、リアルではないようなこじれが生まれる可能性も高くなります。この可能性を少しでも下げるためにできることが、コミュ障を使うということなのです。これを言えばもうコミュ障でない人などいないのではないかと思ってきますね。

 

今の場合、コミュ障という言葉の幅は大変広くなっており、他人との会話に自信があるとはっきり言える人以外は全員コミュ障と言っていいくらい広くなっています。

自分を卑下することにより、より過ごしやすい環境を作る、これは自分では意識していなくとも、自分を守るためにしておきたいという心理から生まれるものです。

 

 

まとめ

コミュ障を、「コミュニケーションが上手く取れない人」と認識していると、あまりに周りがコミュ障だと言うので本当かなと疑いたくなってしまいますよね。今のところ、この意味はとても広く使われていると認識しなおした方が納得がいくと思います。

心理的には、この言葉を使うことによって相手の自分への期待が下がり、自分にとって快適な場所が得られるというメリットがあります。本当は人と話すことがとても好きで、漫才師のように喋ることで稼げるほどの腕の持ち主でも、コミュ障だと一言言っておくだけでその場で失敗しても許される環境が出来上がります。

そういうわけで、コミュ障にはとても見えない人でも自己申告でそう言う人もたくさんいるのです。コミュ障とは、コミュニケーションが取れない人のことを指すのではなく、コミュニケーションをすることでエネルギー消費が実際に激しい人、激しいと思っている人も指します。広義で捉えれば、「何故この人がコミュ障だと自称するのだろう」という疑問も解決するのではないでしょうか。

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