ギャンブルと占いは一緒?運命を信じる人の心理とは?

人は自分ではどうにもならない状況に陥った時、神様に願掛けをしたり、占いに運命を委ねたりすることがあります。これらの人々を宿命論者と言うことがあります。

くじや競馬などのギャンブルも、この宿命論者のタイプに当てはめることができます。一見すると、占いとギャンブルは異なるように思えますが、両者とも宿命論者であるという点では同じなのです。今回は占いとギャンブルの元である宿命論者について説明します。

 

ギャンブルと占いは一緒?運命を信じる人の心理

宿命論者に能力はいらない?

宿命論者とは、運命を信じる人のこと。それでは運命とは誰が決定しているのでしょうか。神様でしょうか、仏様でしょうか。少なくとも人間が決定しているわけではなさそうですね。

宿命論者は人間個人の能力を信じていません。個々の能力に関係なく、運命によって充足感を得ようとしているのです。

 

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中世ヨーロッパ人は皆宿命論者

かつて人々が宿命論者だった時代がありました。代表的なのは中世ヨーロッパです。彼らの多くはキリスト教の神を信じ、世の中のあらゆる現象――自然災害や病気や人の生死――を神が決めたものと考えていました。

人間に起きるあらゆる出来事は全て神様がやったことで、人間個人の力ではどうしようもないというのが中世ヨーロッパの人々の考え方です。だから彼らは一生懸命に教会で神様にお祈りをし、教会が絶対的な権力を持ち得たのです。

 

 

近代以降の合理主義

中世で神様を信じていた人々は、だんだんと神様という実体のないものではなく、人間の能力によって世界を理解することになります。例えば自然災害は神様が起こすのではなく、雨や気候などの原因がありますし、病気にも何かしらの原因がありますね。

全ての現象に理由があることに気づいた人間は、もはや神様に祈ることをやめ、津波や雷などの自然災害には防波堤や避雷針などで防御策を施し、病気は願掛けではなく、医者に診察してもらうようになりました。

こうして中世の宿命論者は、近代の合理主義者に取って代わられたのです。

 

 

再び現代の宿命論者の話

しかしながら中世ヨーロッパの人々と同じような考えが、現代の宿命論者の頭の中にもあります。彼らは、世の中の出来事は自分個人の能力ではどうしようもないと考えています。

特に競争社会の日本やアメリカでは、個人の能力で勝ち上がった者が持て囃され、勝負に負けた敗者は文句を言うことはできません。

 

敗者は個人の能力を周囲に誇ることができませんから、自分の能力を信じることができなくなります。故に運が最も必要とされるギャンブルや、人間の力が及ばない(とされる)迷信や占いに没頭することになるのです。

運や運命が全てを決めてくれるなら、人間個人の能力は必要ありません。これは神様が全てを決めていたから、神様にお祈りするしかないと考えていた中世ヨーロッパの人々と根本的には同じ心理です。

 

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競争社会の敗者たち

ギャンブルや占いに没頭する宿命論者たちは、競争社会での敗者であることがよくあります。上で説明したように、競争社会における勝負に負け、自分の能力を信じることができなくなっているのです。

現代の日本では、競争があらゆるところにありますので、常に勝者と敗者が存在します。例えば、Aさんは金持ちと結婚した、Bさんは容姿端麗の夫を手に入れた、私、Cは未だ結婚ができず敗者である。

 

このような状況で敗者となったCさんは、自分の力で結婚相手を探すことを諦め、占いで運命の相手を見つけようと考えます。結婚相手を運命に委ねるです。

もう一つ例を挙げると、Dさんは給料が良い、Eさんは才能があって将来は明るい、私、Fは職がなく、才能もない。このような状況で敗者であるFさんは、一攫千金を狙ってギャンブルを始めます。

 

自分の能力で稼ぐのではなく、運に委ねるのです。上記の例のように、競争社会において敗者になった者は、自分の能力を信じることができなくなり、運命や運に自分の人生を委ねることがあります。

現代の競争社会において、ギャンブルや占いにハマるメカニズムには、競争原理の弊害が寄与しているのです。

 

 

宿命論もほどほどに

人間、上手くいかない時には神様にも頼りたくなるもの。しかしあまりに運命に身を委ねるもの危険なことです。人間の能力も不確かなものではありますが、運命はそれ以上に不確か。

いつ自分に運が回ってくるのかは誰にも分かりませんし、一生回ってこないかもしれません。運命に全て委ねて、一発逆転や一攫千金を狙うのは、気持ちはわかりますが、あまり得策とは言えません。

 

さらに言えば、現代の競争社会で、勝負に勝つことにどれくらいの意味があるでしょうか。運や運命に任せて大逆転勝利を狙うのはドラマチックで夢がありますが、勝負に勝っても幸せになれるとは限りません。

他人との勝負を目標にするよりも、自分の幸せをしっかり見つめることの方が、生きる上で余程大切なことではないでしょうか。

 

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以上が宿命論者の心理です。ギャンブルと占いの根っこは同じです。たまの願掛けは誰でも考えるものですし、日本の伝統的な文化でもあります。

しかしながら身も心も運命に身を委ねるには、運命はあまりに不確かなものだという認識が必要かもしれません。また競争社会において、大逆転を狙って勝者になることに、どれくらいの意味があるのか、考える必要があるでしょう。