人の幸せを喜べない人の心理的特徴とは?

人の幸せを喜べない人の心理的特徴について。誰かが結婚した、出産した、出世したなどなど、周りの友達にとって嬉しいことはたくさん起こりますよね。なのに、何故か素直に喜べない自分がいることに気づくときがあります。

喜ばしいことだとわかっているし、その友達が決して嫌いだというわけでもないのにどうしてそんな風に思ってしまうのでしょう。ここではそこに潜む人間の心理に迫っていきます。

 

人の幸せを喜べない人の心理的特徴

羨ましいは妬ましいと同意語

人のことを羨ましいと思うことはありますが、実はこれ、妬ましいという感情と表裏一体なのです。自分ができていないことをできた友達を羨ましいと思う一方で、どうして自分にその幸せが降ってこないのだろうと理不尽に思うのです。

人が生まれながらに平等ではないと頭ではわかっているつもりなのに、どうしても他人と比較してしまうのが人間心理です。比較しないようにと言われてもそれは人と関わりながら生活をしていく上では難しいことで、意識しないようにすればするほど逆に意識がそっちに向いてしまうのです。

 

特に、妬ましいと思ってしまうのは自分がしたかったことである場合です。例えば結婚したという報告が入ったら、私も結婚したいのにどうしてできないんだろうという焦りの感情が芽生えます。結婚はたとえ真実はそうでなくても一般的に幸せの象徴とされているから余計に自分も追い求めたくなります。

また、羨ましいと思う感情は相手が自分よりはるか上を行く場合や、畑違いな場合です。スポーツをやっている中学生が、オリンピックで金メダルをとった選手を見ていいなあと思うのはレベルが違いすぎて妬ましいとは思わない。

サラリーマンが、芸人がM-1グランプリで優勝しているのを見ていいなあと思う感情は畑違いだから妬ましいとは思わない。どちらも羨ましいで止まるのです。それが妬ましいという感情に変わるのは、自分が得られそうで得られない幸せを掴んだ身近な人になります。

 

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2度も同じことで喜べない

自分が感じた幸せというのは、大きければ大きいほど何度も思い返して浸ることができます。その方法は他人に言うことです。しかし、他人の幸せは自分のことのように何度も喜べません。これが如実に出てくるのがSNSです。

Facebookなど、コメントをしたら昔の投稿でもまたニュースフィールドに浮上するタイプのものだと、同じ人の結婚報告が何度も目に入ることがあります。これが嫌になってFacebookを見なくなったという人もいます。

 

どうして嫌と感じてしまうのかというのが、他人の幸せは2度味わえないことと繋がります。この他にも、子どもが生まれてからSNSにその成長記録を毎日のように更新している場合、人はそれに飽きてしまいます。

SNSには誰が何をどんな頻度で書き込もうと自由だという面がありますし、まさか自分からその投稿をやめてというわけにもいかず、結局ただ自分が他人の幸せを喜べないという事実を突きつけられることとなります。そんな醜い自分が嫌で、リア友がいるSNSは見ないようになったという事例も多いです。

 

 

自分が上手く行かない時に幸せ報告が被る

自分がハッピーな時に他人の幸せな報告を聞いたら、心もそれに同調しやすくなります。ところが、自分が凹んでいる時に幸せな報告を受けるとそれを素直に受け止められなくなります。

友達の幸せを素直に喜べない人の多くは、調子が悪い時にポジティブな応援歌を聞くよりは、自分の気持ちに寄り添ってくれる歌の方が心地よいと感じるタイプです。そんな精神状態の時にはポジティブな言葉が全て薄っぺらく思えてしまうからです。

 

これと同じ現象が起こり、友達の幸せはその時の自分にとっては通常のように感じられなくなります。余計に凹んでしまう原因になり、まるで相手がいつでも幸せで凹んでいる時なんてないかのように思えてきます。

特にリア友がいるSNSでは普通うつ状態の時にコメントはしないため、幸せな報告であふれたニュースフィールドになります。写真だって悲しんでいる時やつらい時の写真を撮る人はいないでしょう。たとえそんな気持ちだったとしても、無理して笑顔は作るはずです。

その背景がわからないから、どんな人も自分より幸せに見え、すさんだ気持ちになっていきます。不幸なのがまるで世界に自分一人だけという錯覚に陥り、そんな時は他人の幸せを喜べません。他の人もつらい時はありますが、それを隠して生きていることに意識が向きにくくなってしまうのです。

 

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自分だってやればできる

プライドが高い人には特に顕著に表れることですが、キャリアアップの報告が入ったり、素晴らしいアートを作った写真がSNS上にアップされたりすると、それくらい自分ももしやったらできると感じることがあります。

しないから報告ができないだけであると、いうなれば負け惜しみをしてしまうのです。特に相手よりも自分のスキルが上であるとわかっている場合、対抗心を燃やしてその上を行けると他の人に教えたくなります。

 

その人だけをちやほやしないで自分のことも見てと思うようになり、その幸せを上回ってやると勝気になっていきます。自分ならそのくらいのことはわざわざ報告しないのにと思うものなら尚更上から目線になり、それを褒めている人も気に食わなくなります。

このように、どこかで自分の方が優れているという負けん気が生まれることで他人の幸せを素直に喜べないこともあります。

 

 

まとめ

人の幸せは喜ぶべきなのにどうして自分は喜べないのか、その疑問は少なからずきっと誰しもにあります。そしてそれを責めることは誰にもできません。隣の芝生は青く見えるということわざがあるように、人は他人の一面にしか注目できなくなる時があります。

特にSNSの発達により投稿内容が偏ってしまい、その人と実際に会って色んな話をしてわかることが一方向からして見えなくなりました。それが幸せな一面だとそればかりだと感じてしまうのです。

羨ましい、妬ましいと思ってしまうのは人間である以上仕方のないことなので、自分を特別責めたり醜いと思う必要はありません。自分が幸せを掴むことに一生懸命になればいいのです。

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