なんでもできる人が大人になった時の心理的特徴とは?

なんでもできる人が大人になった時の心理的特徴について。学生時代、勉強もできてスポーツもできてしかも見た目も良い、なんて人はいませんでしたか?何でもできるからクラスの人気者で敵がいないような存在、一度はなってみたいなと思った人も少なくないはずです。

そんな人が送る人生は、果たしてどんな感じなのでしょうか。その人が大人になってからどんなことを思うのかを見ていきましょう。

 

なんでもできる人が大人になった時の心理的特徴

大人になるにつれて「普通」になっていく虚無感

子どものころ、周りよりも発達が早いと周りから「すごい」と褒められ、良い気持ちがするものです。それが勉強でもスポーツでも絵でも字の上手さでも。それをうらやましく思う人も多いのですが、そのような人気者は大人になるとともに虚無感を覚えることが多いです。

何故なら、小さいころは周りより早く成長できた分できることが多かったのですが、大人になるほどに自分に周りが追い付いてきて、段々自分の特別感が失われていくからです。

 

あんなにすごいと言われていたことが普通のことに成り下がってしまうのは、今まで誇ってきた自分の特技が奪われたような感覚です。ある一定の時期までは優越感を感じられても、それが失われる虚無感も覚えるのが何でもできる人の特徴です。

それが卓越していて、中学、高校、大学、社会人になっても周りより頭一つ抜きんでているのなら、それは素晴らしい才能としてそれを生かす仕事にも就けます。しかし、そこまでではない場合はあくまで学生時代の一時に花を持たせてもらえただけにすぎず、後でそんなに誇れるものではなかったと思うこともあります。

 

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どの道に進めばよいかわからなくなる迷いが強い

全能や万能という人は、できることが多すぎてどの道に行ったらいいか迷うことになります。贅沢な悩みと言われますが、本人からしたら道が決まっている人のことをどれだけ羨ましく思うでしょうか。

選べる自由がありすぎるというのも考え物で、誰かが決めてくれたらなと思う傾向があります。普通は自分の最も得意とする道に行くのが楽で、社会に役立てることもできるわけですが、一つの道を選ぶということは、それ以外のすべての道を捨てるということです。

 

それは結構酷な選択でもあり、決定するまでに人より時間を要します。複数の道を一度に歩める場合もありますが、それは一般的には稀です。結局は、何でもそつなくこなせるといっても無難な道を歩むことが多いのも特徴です。

スポーツが得意で体育の成績が常に5であっても、それを職業として食べていくとなると更なる成長が必要です。何でもできるのであれば、他の安定した道へ行った方が良いのではないかという心が働き、才能が埋もれてしまう喪失感を味わうことがあります。

褒められたのはそれをする必要があった授業だけであり、社会に出たら役立てられる自分の才能はとても限られてしまうとわかってしまいます。

 

 

良いように使われてしまうと感じる

社会に出て会社に入ると部署があります。そこに割り当てられ仕事をこなすわけですが、オールマイティーであればあるほど他の仕事も任せられるようになります。

その人が仕事を休んだ時には代りがいないという理由で大変な事態になることがあるのに、他の人が休んだ時にはその人がカバーができるだけの能力があることからそこまでの大騒ぎにはならないのです。

 

結果として自分が希望せずとも仕事がどんどん舞い込んできてしまい、中には理想の働き方ができていないという人も。他の人のカバーは自分がやるのに、自分のカバーは自分にしかやれない理不尽。

何かに特化しようとしても、それ以外のこともできてしまう故の悩みです。自分が相手に良いように使われいると感じると不公平に思え、できない人の方がよっぽど生きやすいではないかとひねくれてしまう原因にもなります。

むしろ能力を隠してできない人を演じていた方が得をするのではと思うものの、実際それをするのはプライドもあってできないという人もいます。

 

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思い描いた道を否定されやすい

有能であれば、特にその親はその才能を潰さず活かしてあげたいと思います。仮に本人の意思が決定していても。例えば、その人が好きな仕事を見つけたとしましょう。しかし、そこが小さな町工場だったとします。

すると周りは、それだけの才能を持っているのなら、上場企業に入ってバリバリ働くべきだと言います。たまたまその意見とその人の意見が一致すれば苦悩はありませんが、できるだけの能力があればそれに見合った上を目指すべきだという周りの声に同調しない場合、自分の決めた道を否定されやすくなってしまいます。

 

本人が何をやりたいのかという意志を尊重することよりも、先に「もったいない」という意識が働くせいで世間体を見てしまいます。町工場で働く人は町工場で働くことが限界の人だ、などという世間一般からの間違った認識を知っているからです。

周りがうらやむほどの能力を持っているのだから、せめてそれを生かしてほしいという相手の要望です。だから有能な人が自分のやりたい道を見つけたのであれば、それが自分の能力より「下」であるならば、それを説得する必要が人より多いケースもあります。

 

 

まとめ

何でもできる人というのは周りからしてみれば憧れの対象ですが、大人になるにつれてそれだからこその苦労がありました。隣の芝生は青く見えるものなので、それでも贅沢な悩みだと思ってしまう人もいるでしょう。

その人が抱える問題や悩みというのは、想像することしかできませんから仕方のないことだとも言えます。自由すぎて選ぶものが多ければ多いほど強い決断力が必要ですし、もしそれで失敗してしまったらあの道を行ったらよかったのにという後悔はできたかもしれないからこそ人一倍あります。

対して、一つの道を突き抜ける生き方というのは他を選べないという点ではデメリットですが、有能な人からすればその道のスペシャリストとして歩んでいけるのが羨ましいのです。優れたものが普通と言われるようになっていく感覚は、普通大人になればできるようになることが増えることを思えば、逆の道を辿っているとも言えなくはないでしょう。

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