野心家の心理的特徴と弊害|競争社会の条件とは?

野心家の心理的特徴と弊害、競争社会の条件について。私たちは競争社会の中で、常に競争を強いられ、野心家の感情に支配されています。アメリカ人ほどではないにしても、日本人は競争社会の中に生きています。学校ではテストと成績で順位が明確に付けられ、会社では売上が何と言っても物を言います。

競争社会とは、勝負の物差しは違えど、勝ち負けがはっきりしている世界です。勝ち組・負け組という言葉は、正に日本人が競争社会に生きているが故に生まれた言葉です。

 

そのような競争社会の中で、必ず野心家という存在がいます。競争に勝つことに魅了され、他人との優劣を気にしている人々。こんなふうに表現すると特異な存在のように聞こえるかもしれませんが、私たち日本人は多かれ少なかれ、野心家の心を持っています。

何故なら、社会全体が競争社会を是としているのですから。目的達成のための野心自体は、悪い面ばかりではなく、モチベーション向上にもつながります。しかしながらあまり他人との比較に囚われるのも考えものです。

野心家の心理を分析及び説明し、競争社会に囚われた人間にならないための心得を述べたいと思います。

 

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競争社会の条件とは?

私たちは競争社会に生きていると同時に、平等な社会に生きています。一見矛盾した表現ですが、平等というのは勝負の前提条件であり、勝負の結果で差が生まれることを否定するものではありません。

私たちは、生まれた時のスタートラインは基本的には同じで、よーいどんの合図と共に競争が始まります。勿論、家が金持ちであるとか、容姿端麗であるとか、身体能力に優れているといった差は生まれながらにしてあります。

 

しかしながら、誰でも義務教育を受けて、能力を伸ばし、自分のなりたいものになる可能性は否定されていません。もし自分の希望が叶わなかった場合、それは自分の努力が足りないのだということになります。

ヨーロッパの中世や江戸時代のように、生まれた階級を一生抜け出すことができないということはありません。生まれながらの平等というのは、競争社会の前提条件であり、守らなければならない基本ルールです。

アメリカ社会もはこの点は非常に気にしており、人種問題やジェンダー問題の議論が活発です。野心家はこのような平等な社会で、能力を持った人間の中に生まれます。

 

 

野心家の特徴

競争社会というのはスタートラインが平等な競争です。競争者は決められた条件の中で、フェアに個人の能力を発揮して勝利しなければなりません。入学試験は時間も配点も同じですし、企業間の競争も法律の下で行われていますね。

フェアな条件下で競争が行われるため、勝負がついた時、文句を言うことができません。同じ条件で戦ったのだから、勝者には能力があり、敗者には能力がなかったのだということなります。実にはっきりしていて、合理的です。

 

野心家とは、競争社会の中で、勝者になることに魅せられた人々です。勝者である野心家は、敗者の弁を聞くことはありません。平等な条件の下で、フェアに戦って負けたのだから、それは敗者自身の努力が足りないのだと言って聞く耳を持ちません。

しかし本当にそれが正しいのでしょうか。本当に競争社会はフェアで、純粋な能力の勝負で、合理的でしょうか。競争社会の勝ち負けの原理だけで、社会の全てを説明して良いのでしょうか。ここに競争社会の限界があり、野心家の心理における弊害が生まれるのです。

 

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野心家の心理における弊害

野心家の心理における弊害は、人間社会の様々な場所に入り込んでいきます。企業間の競争なら、全ての民間企業の目的は営利追求なのでまだ良いかもしれません。しかしその競争は、本来競争しなくても良い場面にも侵入していくのです。

例えば仕事の同僚がどんな家に住んでいるのか、車に乗っているのか、給料はいくらなのか、奥さんはどの程度の人か、子供はどんな大学に行っているのか、といったことを考えます。

 

同僚でさえ競争相手なのです。もしかしたら同僚との競争ならば、まだ自分の仕事を頑張るモチベーションになるかもしれませんね。

しかし普段から競争を前提に考えていると、それは家庭にも持ち込まれます。近所の家庭と比べて、夫の給料はどの程度か、子供はどの大学に入ってどこに就職したのか、どんな家に住み、どんな車に乗り、どこに旅行に行くのか。

 

全てのものに競争原理を持ち込むことで、人は勝者にならなければならないという強迫観念に駆られるようになります。他者との勝ち負けを気にするあまり、本当に大事なことを忘れてしまいます。それこそが野心家の心理における弊害です。

私たちは競争社会に生きています。野心家の心理は、人の上に立ちたいという多くの現代人に共通する心理なのです。

 

しかしながら人間の社会は、競争の原理で全ての説明がつくわけではありません。他人との勝負に没頭し、競争社会に浸るあまりに、勝ち負けの先に何があるのか見失ってはいないでしょうか。

大事なことは、全てを勝負の物差しで測らず、自分自身の基準で、本当に大事なことは何かを見極める力なのではないでしょうか。

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