義務感で行動してしまう人の心理を解説し、自分の意思で行動を選び取ることの難しさと大切さを、例を挙げながら説明したいと思います。
社会で生きる人間は、多かれ少なかれ義務感を感じて生きています。この義務感とは、税金を収める義務、勤労の義務、子供に教育を受けさせる義務など、法律で定められたものに対する義務感もありますが、ここで取り上げるのはそのような義務に対する感情ではなく、他人が期待していることに応えようとする義務感のことです。
なんでも義務感で行動してしまう人の心理
他人の期待に答えようとする
義務感で行動してしまう人の心理には、他人の期待に応えようとする義務感があります。
勿論、他人の期待に応えるのは、一概に悪いこととは言えません。それがモチベーションにつながることもありますし、他人を喜ばせることもできるでしょう。
しかしながら、その行動は本当に自分が選び取ったものなのか、という視点で考えると、必ずしもそうではなく、他人の期待に応えようとするあまり自分の行動を自分で選択することを放棄し、その結果知らず知らずのうちに自分の意思を抑圧することになりかねないのです。
義務感で行動する人の例
義務感で行動する、というのは特に珍しいことではなく、社会に生きる人間誰しもが多かれ少なかれ実行していることでもあります。例えば結婚を例にとってみましょう。
現代人は、自らの意思で結婚することを選んでいると思われています。しかし本当にそうでしょうか。
勿論自発的に結婚する人もいますが、何歳までに結婚すべき、生活のために結婚すべき、親のために結婚すべき、恋人が期待しているから結婚すべき、といったような世間の常識や他人の期待に従って結婚することもよくあるのではないでしょうか。
問題なのは、実際はこういった様々な「べき」に従っているだけなのに、それをあたかも自分の意思で選んだと誤解することです。
他人や世間の期待に応えようとするあまり、自分の本当の意思を、偽りの意思で上書きしてしまう。
これが義務感で行動する人の心理です。結婚式の前日や当日に逃避したくなる衝動を抱く、いわゆるマリッジブルーなる言葉がありますが、これは正に本当は自発的に結婚を選んでいない人が抱く衝動であると言えるでしょう。
義務感で行動することの弊害
上で挙げた結婚での例のように、自発的に行動を選んでいない場合、どこかで無理が生じる可能性は高いと言えます。自分ではそれが正しいと思い込んでいても、心のどこかで正しいとは思っていない自分がいる。
その場合、心の中の自分は世間の常識や他人の期待といった義務感によって抑圧されます。抑圧された本当の自分は、ある日無意識に、知らず知らずのうちに、表に噴出することがあります。
噴出の仕方は様々ですが、それは体調の変化であったり、破壊的な衝動であったり、性的な衝動であったり、様々です。本当に望んでない結婚を40年、50年続けることは可能でしょうか。もしかすると子供の存在や生活の必要からそれは可能かもしれません。
しかしながらどこかで心の中の抑圧が衝動という形になって噴出しないとも限りません。現代における衝動的な事件は、このような精神の抑圧から起きることが非常に多いのです。
何故義務感で行動してしまうのか
何故、人は義務感で行動してしまうのでしょうか。どこに自分の意思を偽りの意思で上書きする必要があるのでしょうか。短く言ってしまえば、楽だからです。
自分の意思で行動するということには、勇気が必要です。結婚をせずに一人で生きていくということは、現代社会においても、まだまだ風当たりが強いことがあります。
家族からプレッシャーをかけられたり、友人がどんどん結婚していったり、婚活などという言葉が流行ったりと、世間は盛んに結婚を奨励します。
人は他人の期待を簡単に突っぱねるほど強くはありません。期待が膨らめば膨らむほど、それに応えざるをえなくなるのです。人は他人の期待を裏切った時に感じる孤独に耐えることができないのです。
それをするにはは相当に強い自分の意思が必要です。現代人は自分は自由であると思い込んでいます。自発的に自分の意思で行動を選び取るのは当たり前のことだと思い込んでいます。
しかしながら、実際には常識や他人の期待を裏切るのが怖くて、孤独になるのが怖くて、自発的に行動していないことがほとんどなのです。
自分の意志で行動していないにもかかわらず、自発的に行動していると思い込む偽りの感情は、思わぬ弊害を生み出すこともしばしば。
社会の中で生きる以上、完全に義務感から解放されることは難しいですが、本当に自発的に自分の人生を選んでいるのかと、見つめ直すことは大事なことなのではないでしょうか。
以上が義務感で行動してしまう人の心理の説明です。義務感で行動することは何も特別なことではなく、社会に生きる人間皆が行っていることです。
しかしながら、それを自発的行動だと思い込む偽りの感情こそが危険なのです。本当の自分が抑圧されて思わぬ衝動が噴出しないうちに、実際の自分の意思は何なのか、再確認してみるといいかもしれません。