ストーンヘンジが作られた目的と、どのように建てられたのか

イギリスにあるストーンヘンジを知っていますか?ユネスコの世界遺産にも登録されているストーンヘンジは、先史時代に作られた巨大な建造物です。そのスタイリッシュなデザインは、現代に生きる私達が見ても、惹きつけられるものがあります。

近年の調査・研究により、今までわからなかったことが、明らかになってきているものの、新・世界の7不思議の最終選考にも残るほど、まだまだ解き明かされていない謎も多くあります。ここでは、そんな謎に満ちたストーンヘンジに迫ってみたいと思います。

 

そもそもストーンヘンジとはどんなもの?

ストーンヘンジというの、イギリス南部のソールズベリー平野にある遺跡で、先地時代の人々が作ったものと考えられています。遠い遠い過去から延々と受け継がれ続けている人々の生命は、先史時代と歴史時代に分けられ、その基準は簡単に言うと「文字」にあります。

文字が出来る前を『先地時代』、文字が発明されて以降を『歴史時代』とされています。という事は、ストーンヘンジは、まだ文字が確立していない、はるか遠い過去に作られてことになります。

 

ストーンヘンジは、直径約30mの幾つもの巨石を直立させ、それを円陣状に並べた直径30メートルの巨石建造物と、それを囲む直径約100mの堀と土手からなります。

北東方向には入り口があり、そこへ続く道にはヒールストーンと呼ばれる、高さ5mの石が置かれていて、サークルの中央には、最大のもので高さ7mの「トリリトン(三石塔)」と呼ばれる3つの石を組み合わせて作った門のような形の組石が5組入り口方向に開いた馬蹄形に配置されています。

 

 

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ストーンヘンジは、いつどのように建てられた?

巨石建造物と堀と土手からなるストーンヘンジですが、紀元前3000年頃から、段階的に築かれたという事が分かっています。

まず、第1段階として紀元前3000年頃に円形の堀とその内側に直径約100mの土手が築かれます。そこには、北東側に大きな入口と南側に小さな入り口があり、土手の内側には、「オーブリー穴」と呼ばれる直径1m前後の穴が56個掘られました。

 

北東側の入口付近やヘンジの中央部、中央部から南側にかけて、杭や木柱を立てたと思われる穴もたくさん見つかっていますが、そのようなものが建てられていたのか、いつ頃建てられていたかなど、具体的な事は、現在も殆どわかっていません。

第2段階として、紀元前3000年の中頃には、中央部にサーセン石によって巨石建造物が築かれました。この時、第1段階で、オーブリー穴に立てられていたブルーストーンもこの巨石建造物に組み込まれた様です。

 

もしかすると、この頃にヒールストーンも立てられたのではないかと考えられます。また、ヘンジの内側にある「南の塚」と「北の塚」と呼ばれるところには、木造建造物が設けられていたと推測されています。

第3段階として、紀元前3000年後半に、「アヴェニュー」が建設されました。アヴェニューは、北東側の入り口から両側を低い土手と堀で作った境界で、最初、東北方向に真っすぐ伸びていますが、途中から東南方向に緩やかに向きを変え、エイヴォン川の西岸に向かっています。

 

第4段階は、紀元前2200年頃の建設で、この頃は、ブルーストーンがサーセンの内側に沿う円と、馬蹄形の内側に沿って弧を描くように配列されますが、弧を描いた配列は、楕円形へと再配列されます。

最終段階である5段階は、紀元前1600年頃に「Z穴」と「Y穴」と呼ばれる穴が二重の環状に掘られましたが、以降は、それだけ長い期間手をかけてきたストーンヘンジは、放置されることとなります。

 

 

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巨石はどこからどうやって運ばれ、どのように立てられたのか?

ストーンヘンジは、主にサーセン石とブルーストーンから構成されています。サーセン石のは、ストーンヘンジより北に30kmほど離れた場所にあるマールバラ丘陵から運ばれたと考えられています。

ブルーストーンは、西に250mにあるウェールズ南西部のプレセリー山地から切り出し、運ばれたと考えられています。

 

ブルーストーンに関しては、ストーンヘンジで使われている巨石と、プルセリの丘にある切り出した跡が一致しています。またストーンヘンジ用に切り出されたと思われる石も、放置されたままの状態で残っているものが発見されています。

さて、これらの巨石がどのように運ばれ、どのように直立させたのかということですが、運搬方法に関して、固めた地面の上に丸太を並べてその上を転がして運んだという説や、油を引いた木製のレールの上でそりを滑らせる説、新説として溝付のレールに複数のボールを並べて、巨石を転がすという説もあります。

 

しかし、どれをとっても、それぞれに納得できない部分が残るため、これだ!と思われる確固たる確信は持たれれいないようです。

さて、最大50トンもある巨石たちを、現在の様な重機がない中、どのように立てられたかという謎に関してですが、実験によって解明されています。

 

実験では、事前に掘った巨石の柱を立てる石穴の前に、適当な傾斜路を作り、穴の途中まで引き上げます。

その後、石の柱の上に石の重りを置きずらすことで、その重さを利用して、石の柱を石穴に倒れ込ませ、最後にA字形に組み立てた木枠を利用し、テコの原理でたロープを引くことで垂直に立てることが出来ました。

 

実際にこの方法で、巨石を垂直に立てることが出来たことで、ストーンヘンジの巨石群も、同じ方法で石を立てたと考えれれています。

また、門型に立てられている上の部分の石(まぐさ石)を頂部に乗せる時は、土か木材で頂部までの傾斜を作り、その上を引っ張り上げる方法か、テコを使い石の一端を持ち上げ、短い角材をはさみ、もう一端も同様に持ち上げ、ある程度の高さになった後、長い木材をその下に並べて床面を作るという作業を繰り返し、頂部の高さまで持ち上げたという方法が考えれられています。

 

 

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ストーンヘンジが作られた目的は?

ストーンヘンジの最大の謎とも言える、何の目的でストーンヘンジが作られたかということに対して「天体観測所説」、「墓地」、「祭事説」など幾つもの説が挙げられています。

 

天体観測所説

ストーンヘンジの軸が夏至の日の出の方向に正確に向いていて、日の出の瞬間に、サーセン石と太陽が一直線に並んだり、逆の方向は、冬至の日没方向に正確に合わせられていることなどが、わかっています。

また、月の動きに関連する配列もされていることから、天体観測の場であったり、太陽信仰に関連した場所ではないかと考えられています。

 

 

墓地説

ストーンヘンジが作り始められた頃のものと思われる、火葬された人骨が埋葬されており、初期の頃から長い期間、ストーンヘンジが墓地として使われていた可能性が高いと考えられています。

 

 

祭事説

ストーンヘンジから、人骨の他にも男根状のチョークや球状のチョーク、石の杖飾りなどの出土品も見つかっているため、豊穣に関連した祭事が、そこで行われていたのではないかと推測されています。

その他にも、ストーンヘンジ周辺に埋葬されていた遺体の多くに怪我や奇形の兆候が見つかったことやストーンヘンジがある地域に病気の癒しに関する伝説が多く残っていることから、治療の場であったのではないかという説もあります。

しかし、どの説にも、確固たる根拠や証拠がなく、推測の域を脱することは出来ていません。

 

 

 

 

いかがでしたか?近年、ストーンヘンジの調査が随分と進み、2007年1月にストーンヘンジを作った人たちの居住区らしき跡が見つかったり、2010年7月には、地中磁気測定調査により、ストーンヘンジの形状に似た遺跡が発見されたりしています。

ストーンヘンジ周辺での相次ぐ発見により、最大の謎である「ストーンヘンジが建てられた目的の謎」が解明される日が近いかもしれませんね。