カテゴライズする人の心理について。人は集団行動をし、組織に入ればその責任を負うことになります。一会社員が客に横柄な態度を取ったら、その客はその人だけではなく会社に悪いイメージを持ちます。
中には、きちんと悪い人とそれに巻き込まれた人とをきちんと区別できる人もいますが、そうでない人はどうして個人をカテゴライズして判断を下してしまうのでしょうか。ここでは世の中でカテゴライズされがちなグループに焦点を起き、その謎に迫っていきます。
カテゴライズする人の心理的特徴
個々別々で考えることが面倒臭い
カテゴライズされやすい代表例として挙げられるのは、男女による差ではないでしょうか。男女差別はなくそうという動きがあるものの、実際問題、男子、または男性だからありがちな言動というのはあるものです。
例えば、電車などの乗り物が好きであるということや、女子に比べ字が汚いこと、クラスで喧嘩をしやすいことなどです。反対に女子は乗り物遊びよりおままごとの方に興味を持つことが多かったり、複雑な人間関係を形成したりもします。
これに当てはまらない人ももちろんいるのですが、カテゴライズする人というのはその個性をいちいち見抜かなければならないことを面倒に思います。だからもし女の子を一日預かったとしたら、その子の個性を聞く前に女子受けしそうなサンリオピューロランドに連れていくでしょう。
たとえ本人は乗り物博物館の方がよっぽど楽しいと思っていたとしても。人をカテゴライズして考えることは楽です。就職面接で、学歴でふるいにかけるのもそのうちの一つです。大企業になると、応募してきた人を全員面接で見るのは大変な手間です。
また、学歴がそれなりに高い人は仕事でも良い働きをしてくれるという傾向があります。だから効率の良い選び方としては成功しています。
ですが、高い偏差値をもちながら、甲子園に行ったことのある偏差値の低い高校を選んだという野球に人生をかけた一人の優秀な学生を取りこぼすというデメリットはあります。ただその数は少ないため、それでも効率を考えたら良いという判断になります。
カテゴリーから外れた人を理解しがたい
人は、属しているグループから外れることもあります。例えば、セクシャルマイノリティーであるLGBTはどうでしょうか。男と女という2つのカテゴリーしか頭にない人にとっては、それは理解しがたいものになります。
今でこそLGBTという名前が定着しつつありまた新たなカテゴリーができていますが、やはり人間は何かしらカテゴリーを作らないと不便だと感じているようです。そうすることで相手を理解しやすいようにできるからです。名前のないものに名前を付けるようなものでしょうか。
学校や会社などの組織の中では、変わった人というのはグループの外に追い出そうという動きが働くことがあります。空気が読めない人は自分たちのグループには入れないという行動がそれにあたります。
それは自分たちより下に見ている人に対してだけ働く動きではなく、上の人にも働くものです。可愛くて誰にでも愛想が良いような人だからこそ省かれることはこの現象のうちに入ります。同じグループに属すには適していないという流れが生まれた時、その人を理解しがたいと思い外に出そうと思うのです。
この時、その人の個性を受け入れることができれば、その組織の環境も変わってくるのでしょう。理解しがたいという例は他にもあります。労働者というカテゴリーから外れた人に対しては、何故働かないの?という疑問が投げかけられます。
お金持ちで働かなくても良い環境である、以前に働いて貯めたお金で夢を追いかけている、親のお金で生活をしているなど、自分が納得できる回答が得られて初めて理解したと思うのです。
早く相手のことを理解したい
初対面の相手が目の前に立っていて、その人と素早く良好な関係を築かなければならないとしたら、あなたは何を聞きますか?視覚から入ってくる情報だけでは足りないものはたくさんあります。
初対面の相手に自分がおそらく聞くであろうこと以外にも、相手から聞かれやすいことを思い浮かべると簡単です。年を聞く、聞かれることは多いでしょう。これはその年齢の人にありがちなことや傾向を既に知っているからで、それに当てはめて相手を考えたら理解が及ぶからです。
30代なら、結婚している確率は高いのだろうなとか、働き盛りなのだろうなと認識します。また、話す時に日本で特徴的なのは、相手の年齢を聞くことでこちらが敬語を使うべきかため口でも良いのかを判断するということです。
年齢を聞くことで話しやすくなり、立場というものがそこに確立します。50代で、結婚していると知れば、相手を親というカテゴリーに属するかもしれないと推測します。
これも相手のことを早く知りたいということから、とりあえずはカテゴリーに当てはめていって、その人の人となりや全容をざっくりと知ろうという試みになります。これで相手は自分に害をなすものかどうかをいち早く判断でき、自分の情報をどこまで公開しても良いかを決めていきます。
まとめ
世の中には数えきれないほどのカテゴリーが存在します。性別、国籍、年齢層、世代、学生、社会人・・・。学生だからまだ未熟な受け答えしかできないだろうとか、団塊の世代だから考え方が古いのだろうとか、そのような傾向はあります。
しかし傾向はあくまで傾向であり、それに属さない人だってもちろんいます。下手な50代よりも妙に精神年齢が高い学生、今時の若者よりよっぽど柔軟な考え方ができる団塊の世代、いないことはないですよね。確かに個性を特別に意識しなければならない状況でない限りは、傾向から判断した方が手っ取り早いです。
しかし、そのような状況でない場合にもカテゴライズをしてしまう人は、その人のことを軽んじているように思われても仕方ありません。大切なのは、カテゴライズして人を判断して良い状況なのかどうかを適切に判断することです。それができなければ相手もなかなか心を許さず個性を見せてくれません。すると余計に相手を一個人として見られなくなってしまうでしょう。