待ち合わせにギリギリな人、余裕を持っていく人の心理について。街で人と待ち合わせをすると、30分以上も前に待ち合わせ場所に到着する人と、時間ギリギリもしくわ少し遅れて到着する人がいます。だいたいこの2つのパターンに分かれますが、何故そのようになるのでしょうか。
待ち合わせの時間に余裕を持っていく人の心理
この人と待ち合わせをすると、いつも自分よりも先に待ち合わせ場所にいます。いったいどれくらい前に着いたのと聞くと、30分くらい前かなとさぞ当たり前のような答えが返ってきます。そんなに早く来なくてもいいのにと、こちらは少し恐縮してしまうほどです。
でも本人にとってはそのことが全く苦になっていません。それどころか当たり前だと思っています。果たしてその行動の心理はどのようになっているのでしょうか。
まず、家から待ち合わせ場所までの距離です。そういう人は、その距離が遠ければ遠いほど、より余裕を持って家を出発します。目的地まで30分で行けると判断した時には、45分くらい前に家を出ます。60分かかると判断した時は、90分くらい前に家を出ます。
何故でしょうか。それは目的地までの距離が長ければ長いほど、それに比例して待ち合わせ時間にたどり着くまでのリスクが増えると考えるからです。つまり電車やバスに乗る時間が長くなれば、途中事故やラッシュなどで電車やバスが遅れることが予想されます。
また特に初めていくような場所で、乗り換えが増えるようなことがあれば、乗り換えのために駅で迷うことにより、余計な時間がかかってしまうことが考えられるからです。
実際に遅れることがなかったとしても、そのような状況になることが心配であり、そわそわイライラする気持ちを味わうのがとても嫌いなのです。
それであれば一層の事、心に余裕を持ちながら行動する方がずっとマシであると考えるのです。もし早く着けば、少し街を見て回るとか、お茶でも飲んでいようかと、そこまで考えて行動しています。
そして何よりも、そういう人は待ち合わせの時間に遅れること自体が許せないのです。もしそのような事態になった場合、相手に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまいます。
数分遅れたところで、そんなことは誰にでもあると相手はそれほど不快には思っていなくても、遅れたことへの自責の念にとらわれてしまい、いてもたっても居られなくなってしまいます。
待ち合わせの時間にギリギリにいく人の心理
このような人と待ち合わせをすると、毎回のように時間ギリギリにやってくるか、ハンデ押したかのいうに5分や10分は平気で遅れて来ます。
遅れた時は、やあ〜、ごめんごめんと口では言っても、全く悪気がないような感じです。そして必ずのように電車が遅れてなど、目覚まし時計が鳴らなかったのどの言い訳をします。それなら少し余裕を持ってくればいいのにと思いますが、本人はいたって冷静です。
このような人は、もし電車が遅れたらとか、道に迷ったらとか、そういったイレギュラー的なことは一切考えません。遅れそうになれば携帯電話で相手に連絡すればいいかとか、道に迷ったら人に聞けばいいとか考えて居ます。
そして何よりも、そういったことで待ち合わせ時間に遅れて、人を待たせることに一切罪悪感がありません。マイペースと言えばそれまでですが、あまりにもそのマイペース加減に人はイライラすることがあります。でも本人はそれほど頓着して居ないようです。
何故そのように思うのでしょうか。まずは、余計に早く家を出ることが自分にとって損をしたような気分になるからです。それであればもう少し家でゆっくりしていた方がずっといいと思っています。
多少待ち合わせの時間に遅れても、ギリギリまで寝ている方が自分とっては利益があると考えるからです。
しかし、あまりにもそのようなことが続けば、だんだんと人が疎遠になっていくこともありますので、数回に1回くらいは時間より早くやって来ますが、長年身についた習慣は簡単には変えられるものではありません。またいつものように時間に遅れてやってくるようになります。
時間にきっちり、時間にルーズどちらがいいの?
まずそれぞれの本人気持ちに限ったことで言えば、待ち合わせの時間に遅れてくる人の方が、精神衛生上では良好です。何故なら、遅れること気にしない楽観主義者であるからです。物事を暗く考えずに明るく考えることは、自分にとってはプラスになります。
一方、時間に余裕を持ってくる人は、心配性であり悲観主義者であるかもしれません。遅れてはいけない、相手に迷惑をかけてはいけないという気持ちが強すぎると、精神衛生上は決して自分にとってプラスにはなりません。
どちらかと言えば暗い方になるのかもしれません。但し、社会的に考えれば、時間に余裕を持ってくる人の方が信頼感があり、人間関係を損ねるようなことはありません。
果たしてあなたはどちらのタイプですか?