趣味ができない人の心理的特徴について。趣味とは、見つけようとして見つけられるものではありません。これが面白いと自然に湧き出る気持ちから続けようと思うものだからです。ストレス発散のためにも趣味を見つけようとはよく言うものの、それができたら苦労はしないわけです。
どうして世の中には多趣味な人と、一つも趣味を持っていない人がいるのでしょうか。趣味がない人の心理からその理由を見つけてみましょう。
趣味ができない人の心理的特徴
理由を考えてしまう心理
趣味は自分が楽しめれば良いのですが、もし何か趣味となるようなものに出会っても、「これは習得して何の役に立つのだろうか」と考えてしまうのが無趣味な人の心です。自分が何かすることには常に意味があり、だから続けられるという人がこのタイプに多いです。
例えば仕事なら、お金を稼いで生活するためという確固たる理由があります。勉強なら、志望校合格という目標を達成するためにつらくても続けられます。でも、趣味というのはないならないで生きていけるので、その必要性を考えるとどうしてものめりこめないという人も多いのです。
何かに理由がないと物事を始められない、または続けられないような人は損得勘定で動くことが多いのが特徴で、心理的には必要最低限のことをしていれば良いと考えます。だから時に人付き合いも不毛な時間を考え、わが道を行くと変わった人と思われていることもあります。
趣味は自分が本当に内から面白いと思えなければ、人に「趣味は何?」と聞かれたときのネタ作りであるとか、それこそ人付き合いでなんとなく続けているものとなります。それを好まない人からしてみれば、それの何が面白いのかわからないところでしょう。
他人の意見に感化されにくい
趣味を見つけた人の中には、他人から勧められたり、テレビを見ていてそれに興味がわいたというケースから入る場合もあります。しかし、趣味を見つけにくい人は他人に感化されにくいのが特徴で、そこが趣味の入り口にはなりません。自分の軸をしっかりと持っているとも言えます。
だからこれは面白いよと言われても、自分という人間にそれが向いているかいないかを瞬時に判断できます。断捨離が上手く、自分にとってメリットのないものは切り捨てようとする傾向があります。自分は自分、他人は他人という考えを持っているケースも多いです。
だから流行りにも乗らず、ミーハーだと言われることが少ないです。物事に関する関心が薄く、好奇心旺盛になれません。趣味探しはまず、「これは面白そうではないか」と思えることから手を付けるので、この感情がわかなければ入口にも立てないのです。
努力より才能派
他人に感化されなければ自身の中から趣味となりそうなものを探す必要があります。しかし、そうなると合理的考えが出てきてしまうので、自分がいかに努力せずしてその趣味を会得するかを考えます。となれば、趣味として候補に上がるのは自分が得意とするものです。
特に、学生時代に自分の生まれ持った才能によって得意になったものに関しては、努力せずして他人よりも上のランクから始められると考えます。
運動神経が良く、自身の身体の使い方を熟知しているならスポーツに流れるでしょうし、どこで習ったわけでもなく絵が上手いなら芸術系に流れるでしょう。これは多くの人がとる傾向ですが、無趣味の人であればこの傾向はより強く出ます。
好きなこととは特にないけれど、得意なことならあるという人にこの色が濃く出ます。しかし、好きとははっきり断言できないことからすぐ飽きてしまったり、時間的に都合がつかないからと言い訳を作って逃げてしまうことも少なくありません。
時間をかけて努力することが多い趣味、例えばギターなどの楽器、バレーボールなどの団体戦、経験値を積んでレパートリーを増やしていく料理、コツコツと続けることが大事な英会話、どれも才能はあったとしても努力が必要だと、ある一定のレベルまで行ってもその後が続かず、趣味と言えるに至らずやめてしまう場合があります。
努力そのものが嫌いというより、必要性が薄いものに関してそこまでの努力は必要か、趣味ならその努力さえ楽しいはずだと考えてしまうとなかなか続けるモチベーションを維持できないのです。
やってみてダメだった経験が多い
趣味探しは、一度それが苦手か得意か、嫌いか好きかにかかわらず、やってみてから面白いか判断することも必要です。それをわかっているので、無趣味だとしても一応無料体験に行ってみたり、見学に行くという人はいます。ですが、そこで経験してあまり面白くないなと感じれば、当然趣味にはなりません。
この経験、一見良いように見えて実は「これもダメだった」という意識を高めてしまうことにもなります。そうなると、次もどうせ興味なんてわかない、自分に趣味を持つなんて無理だ、というネガティブイメージが育ちます。
人は自分が歩んできた経験を頼りに物事を判断していけるようになるので、この経験が多ければ多いほど何か新しいことに挑戦してみようという意欲がそがれていきます。
学生時代は色んな教科で色んなことをいわば強制的に学ばされていたわけですが、社会人になるとそこから解放され、自由になってしまうことで何かにチャレンジしようという試みが極端に少なくなってしまう人もいます。挑戦したって無意味だという意識、それが無趣味へとつながっていくのです。
まとめ
年や環境が変化すると、今度こそ趣味を見つけようと思ったりもするものですが、今まで無趣味であるという人はそれ自体難しいことがあります。それはその人の合理的判断や筋の通った自分の意見、生まれ持った才能などに影響されるものでした。
自然と良い趣味との出会いを待ち続けるのも大変ですが、性格上そのようにできているので、それを自分らしいと思えるようになるのも良いと思います。
趣味は欲しいという思いは常にどこかにあるかもしれませんが、なくてもとりあえずそれなりに楽しくやっていければ良いのです。理由のあることを大事にし、それに尽力するのがその人らしい生き方とも言えるでしょう。仕事が趣味になればこれほど良いことはありませんね。