比較する人の心理とは?なぜ他人と比べてしまうの?

他人と比べたり比較する人の心理について。自分は自分、他人は他人と思ってはいても、ついつい比べてしまうことはありませんか?比較しても仕方がないとわかっているのにやっぱりやってしまうのは何故なのでしょう。自分と他人を比較することで何をしたいと思っているのでしょう。

 

他人と比較してしまう人の心理

和を乱したくない

日本は特に、個人よりも全体を重んじる傾向があります。そんな集合、組織の中で上手く立ち回るためには、人と違うことをして目立つのは時に命とりです。自分を他人と比較するのは、そうならないよう常に「普通」であろうとする心理が働いているからです。

個性があることで集団が楽しくなるのですが、悪目立ちしたくない内気なタイプだと特にそれは好むことではありません。自分が人より違う部分があれば、急いでそれを修正すべきだと反省するのです。

 

本来なら他人と違う部分は個性ですが、個性を個性とは思えず、人と違うのだから直すべき箇所と捉えるのが比較する人間の特徴です。違うことはいけないこと、マジョリティーであるべきだという考えを持っている人はこの傾向が高いです。

よって、社会的マイノリティーを理解しがたいという面も持っています。それが顕著に表れるのが「真面目だね」と言われた時です。真面目というのは不思議な言葉で、本来良い意味を持っている言葉のはずなのに、日常生活では相手にその意図がなくても皮肉として使われます。

 

「そこまできちんとやらなくても良いのに」という意味を含むため、それを言われた側は自分が周りより堅苦しいのだと感じます。それを修正すべく、真面目度を下げて行動を行います。

この度合いは属する組織によって変わり、進学校であれば世間一般的に見てもまだ真面目ですが、勉強が嫌いな人が集まる学校であれば世間一般的にはおちゃらけていると見られます。

これは会社でも同じであり、大きな視野で見るのではなくあくまで自分のいる狭い世界で比較を行います。全世界との和を保つことは難しいことですが、一組織での和を乱さないことならまだ簡単だからです。

 

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優越感に浸りたい

自分と他人を比較してわかるのは、どちらが上でどちらが下かということです。自分が上ならば優越感、下ならば劣等感を感じます。普段は劣等感の方を感じる人の方が多いのではないでしょうか。

他人と比較して自分はダメだと思ったりすると、こちらの悪い印象の方が脳によく残ります。どうして相手は幸せそうで、どうして自分は不幸せなんだろうと理不尽を感じてしまうのです。

 

劣等感を感じるのはリアルよりSNSの方が多いです。友達からの結婚報告や海外生活の様子を見て、自分の今置かれている状況と無意識に比較をしてしまいます。他人の幸せ報告を見て素直に喜べないという人は、常に比較をしてしまっているからです。

一方、比較をすることによって優越感を感じることもあります。嫌味になってしまうのでそれが言えない人間関係では口に出したりはしませんが、心の中では気持ち良さを感じています。

 

「あの人は私と同じ仕事に2時間かかっていたけど、私は1時間で終わらせることができた、だから私は仕事ができる」、「あの人には今恋人がいないけど、私にはいる、だから私はあの人よりも幸せだ」など、些細なことで相手と自分の違いを見出しています。

このように優越感を感じる比較なら比較した目的は達成されますが、劣等感を感じた場合は比較が失敗に終わります。ある種ギャンブル的な面を持っているのが特徴です。リスクを侵しても良いから優越感に浸りたいというのがその時の心理状態です。

 

ですが、この優越感は気持ちの良いものであると同時に「こんなことを思ってしまうなんて」という自責の念にも駆られます。

罪悪感を感じるという人は、劣等感を感じるのも優越感を感じるのも嫌になり、比較する自分を嫌いになっていきます。しかし、人間に興味がある以上比較する心理は働くので、それと上手く付き合っていく必要があります。

 

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不幸に甘んじていたい

自分と他人を比較した際自分が相手より不幸だと感じたら、その不幸に甘んじていたいという心理が働きます。例えば、「私は生まれながらに身体が弱くてすぐお腹を壊すのに、周りはそうじゃない」と感じたとしましょう。

すると、「自分はこんなにも不幸なのだから仕方がない、許してもらうべきだ」という気持ちが表れます。誰に許してもらうというものではないのですが、ただ自分は不幸なのだから頑張らなくても良いよねとその不幸を都合よく解釈したいのです。

 

それによって人と違ってできないことがあっても、それを努力して解決しなくても良いと正当化し、生ぬるい不幸に片足を突っ込んでいた方が楽だと感じます。楽をしていることを良しとしてほしくて、せめて自分はそんな不幸な自分を慰めてあげたいと思います。

周りがもし自分が感じている不幸と同等の不幸を背負っているならば、自分も頑張らなくてはと思うでしょう。頑張るのには体力や精神力、努力が必要なので、それをしなくても良いように持って行きたいため比較をします。

 

その比較対象となるのは自分より幸せな人であるところがミソです。自分より不幸な人を比較対象にしてしまったら自分は頑張らなくてはいけなくなります。

比較相手は自分の都合の良いよう選んでいるのは、自分が可愛いが故の心の自然な行動です。不幸から脱出するための苦労から逃げるための策であり、生きていくための本能とも言えるでしょう。

 

 

まとめ

他人と自分を比較しても何も変わらないのだから意味がない、なんて頭ではわかっていてもしてしまうのは、本能的な心理があったり、自分でも気づかないうちに自分を正当化したいという欲があるからでした。周りと足並みをそろえる文化である日本では特徴的なものです。

比較してしまう自分を嫌になることもあるかと思いますが、人間である以上それは少なからず仕方のないことです。聖人ではないのだから、他人を羨ましいと思うことも、妬ましいと思うこともあります。

比較しない人間がいないのは、人間に心があるからです。その動きを自分でコントロールすることは難しく、生きていくにはそれと上手く付き合いながら過ごしていくことになります。

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